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2019年3月10日 (日)

Mr.白幡 A級ディンギーの生い立ち

Www_12footdinghy_org_countryA級ディンギーの生い立ち

 

1932年(昭和71127日) 日本ヨット協会の設立

昭和の初期から日本各地で九州帝大OB会、琵琶湖ヨットクラブ、神戸外人クラブ、東京商船学校OB会、東京大学OB会、慶応三田ヨットクラブ等々のクラブが国内5メートル級その他のヨットで活動していた。

特に慶応三田ヨットクラブは昭和73月に本格的国際規格の「スター級」を進水させている。

 

これらの国内ヨットクラブの活動を統合して、{日本ヨット協会}が設立された。

{日本ヨット協会}が発足して、国内レースの新興とヨットマン育成を目的として、英国人Cockshott設計の12フィート・ディンギーの製造権を導入、{国際A12フィート・ディンギー}の名称のもと国内建造が始まった。

 

◎日本に12フィート・ディンギーが導入された経緯

1930年頃(昭和初期)日本ヨット界の父、小澤吉太郎氏が親しく師事していた商船学校校長関谷健哉先生から、「1928年アムステルダム・オリンピックで活躍した英国人Cockshottの設計した12フィート・ディンギーが取扱い易く、帆走性能も良く、価格も手ごろなので、ヨットマン育成の為日本に導入したら良い」との指導を受け、{日本ヨット協会}を設立に際して製造権を導入、国内建造をすすめ、日本の公認レース艇とした。  

(小澤吉太郎氏の話)

 

◎日本ヨット協会 初代会長 関谷健哉氏

小澤吉太郎氏が親しく師事しておられた商船学校校長、関谷健哉先生は設立当初から{日本ヨット協会}の会長を務められ、国体や大きな大会には必ずご出席され、私ども若年ヨットメンズ達にも世界のヨットに関しても親しくお話して下さいました。{第10 葉山国体ヨット競技}の会長を務められ、その後もお元気で活躍されました。

 

280px12_foot_dinghy_svg_2◎日本ヨット協会が公認艇として導入したCockshott12feet Dinghyは?

今から100年前 (1912)英国人Cockshottが設計したL0A12-feetLBP4-feet/8inchsDepth1-feet/8inchsSail-Area100sq-feet、外板クリンカー張りの木造小型Sailing/Rowing Dinghyで英国で多数建造され、クラブレースが行われていた。 1920年アントワープ及び1928年アムステルダム 2回の オリンピックのレース艇に採用されて活躍した名艇。

 

A級ディンギーの名前の由来は? イタリー、オランダの呼び名は?

1932年(昭和7年)日本ヨット協会が設立され、Cockshott12フィート・ディンギーの製造権を導入した際、工作図面、仕様書等の表題に{“A”-Class One Design Dinghy}と書かれていた。この{“A”-Class}をそのままA級と訳し{A級ディンギー}と呼ぶようになった。設計者 CockshottがつけたAをそのまま使っているのは日本だけ。同じように製造権を導入したイタリー、オランダの愛称は下記の通り。

 

※赤字が愛称、青字が正式名称

Cockshottの命名:“A”-Class One Design Dinghy

日本ヨット協会: A級ディンギー国際A12フィート・ディンギー

イタリー・ディンギー協会: 12PディンギーItariana Classe Dinghy 12P

オランダ・ディンギー協会: 12VTS ディンギーNationale 12VTS Jollen Klass

 

Cockshott 12feetdhinghy 最初のレース

1912年{BRA}(Boat Racing Association)が主催した設計競争入札に優勝したCockshott12feetdinghyを英国西部のMarine湖にある名門セーリング・クラブ{WKSC}(West Kirby Sailing Club)が6艇を建造した。

 

WKSC}は完成した6艇をもって英国各地から12・セーリング・クラブを集め、 1913104Cockshott12feetdinghy最初のレースを開催した。

レース方法は12クラブを先ず6クラブに絞り、更に3クラブに絞って優勝争いをした。優勝はCockshottが率いるSouthport Sailing Clubで、Cockshott自らスキッパーで活躍した。{WKSC}から純銀製の立派な優勝カップが授与された。100年後、Cockshott家からこの純銀製カップが寄贈され、欧州で{Cockshott Trophy}レースが盛大に行われている。 

 

1933年(昭和89月) 第1回 全日本ヨット選手権大会

日本ヨット協会が初めて{全日本ヨット選手権大会}を東京品川沖で開催した。 競技種目はA級ディンギーと国内クラブが使用していた2枚帆スループ{国内5メートル級}で争われた。

A級ディンギー}は同志社吉本善多氏が優勝、{国内5メートル級}は三田ヨットクラブの{初風号}が優勝した。

 

1933年(昭和811月) 第1回 全日本学生ヨット選手権大会

1933年の第7回明治神宮体育大会に初めて{ヨット競技}が加えられた。

A級ディンギーの国内建造が進み、全国大学ヨット部の活動が盛んになって来たところから、{神宮大会}のひとつとして{第1回 全日本学生ヨット選手権大会}(全日本インカレ)が東京品川沖で開催された。(セールマークは 大きな数字のみ)

慶応大学、同志社、大阪帝大、九州帝大、東京帝大、名古屋医大、早稲田大学、関東学院が参加、慶応大学 平松栄一氏組が優勝。 

 

1936年(昭和118月)

日本は初めて、戦前のドイツ・キールの{オリンピック・ヨット競技}に出場した。

スター級(11/12艇) 財部 實(慶応大学) 三井卓雄(九州大学)

オリンピアヨレ (22/25艇) 藤村紀夫(早稲田大学)

 

1937年(昭和126月) 関東学生ヨット連盟 {関東学連} の発足

A級ディンギー}による関東インカレの出場校、慶応、早稲田、東大、関東学院、商船学校の5校が集まり、関東学生ヨット連盟を発足させた。

それに続いて法政(昭和12年)、日大(昭和13年)、東京水産(昭和13年)、明治(昭和18年)が{関東学連}に加盟し、戦後になって、立教(昭和22年)中央(昭和24年)が{関東学連}に参加した。

 

1940年(昭和15年)

横浜新山下町にオリンピック・ヨット・ハーバーが完成した。

12回 オリンピック東京大会の中止が決定した。
 

1944年(昭和19年)

太平洋戦争の為、すべてのヨットレースが中止になった。     以上

pdf:「www.masc0028.com shirahata oitati.pdf」をダウンロード(松島A級帆走倶楽部webからCOPY)

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